大変ご無沙汰いたしましたが、
くすやまホールでは14ヶ月ぶりに演奏会をいたします。
出し物は「能」です。
4月にリサイタルに書いていただいた『天の羽衣』を
能とともに演奏する、という企画です。
能楽師は、今トップを走る若手のホープの方々。
「能」を解りやすく、説明しながらお話をしてくださる予定です。
私は、叔母が能楽師で子供の頃から能楽堂に出入りしていましたが、
「たいくつ」というイメージで今まで来てしまいました。
しかし今回、謡や小鼓・大鼓・笛などと合わせたりお話したりして、
能も奥が深く興味深いものだと感激しました。
みなさまにも、能に親しんで頂けましたら、嬉しく存じます。
日本人でありながら、邦楽を知らないのは、本当はとてもさみしいですよね。
私もその一人ですが。
日本の文化は、とても素敵だと思います。
四季折々の風情を大切にする心。
きれいな礼儀作法、言葉遣い。
けじめ・・・。
昨日、観世流シテ方の武田文志先生のお宅で、申し合わせがありました。
能舞台もあり、神聖な空気が漂っていました。
囃子方のみなさんをご紹介頂き、ご挨拶をしたのですが、
こんなに丁寧に正座して手をついてご挨拶したのはいつ以来でしょう?
と考えてしまいました。
廊下で別のお弟子さんともお会いし、紹介されたのですが、
やはり、そこで正座してご挨拶でした。
私の母は華道の師範でしたので、
小学生の頃から私もおけいこをしていたのですが、
挨拶にはとても厳しく、
しかも、自分の母親に手をついて
「よろしくお願いいたします。」
「ありがとうございました。」
と言わなければなりませんでした。
最初はなんとも恥ずかしくイヤでしたが、
そのうち、そのけじめがとても大事に思えていました。
ですから、昨日も、迷わず挨拶ができたのは、
大人だからではなく、母のお陰なのかしら?
と思ったりもしました。
もうひとつ、舞台はとても神聖なもので、
決して足袋以外では登らないのだそうです。
靴下もダメです。
それで、くすやまホールでのときは毛氈を敷くことにしました。
能楽師たち以外は立ち入れない場所です。
私は、ドレスを来た場合、靴でペダルを踏まなければならないのです。
着物も考えたのですが、両手の交叉が多い曲なので、
袖のたもとがひっかかりそうなので、諦めました。
お囃子を演奏している姿も、とてもかっこいいのですよ。
キチッと型があって、それがとても綺麗なのです。
西洋音楽とぜんぜん違った形があるのですね。
そんな、まるで相容れないような邦楽とピアノが一緒に演奏するのです。
能楽師たちは、彼らの型を守り、ピアノに合わせるようなことはしません。
(これが作曲者がこだわっているところです。)
私の楽譜には、謡の節が音符で記譜され、それに合うように、
ピアノ譜も音符でしっかり書かれています。
「よろしくお願いいたします。」
のあと、「はるがすみ〜」とクセが始まり、
ピアノが入り・・・
それぞれの楽器や掛け声が入り、曲は進行し、
大ノリに入るとリズムもはっきりし、
だんだん高揚して、私も本当に乗せられるように弾いていました。
うまく通ってしまったので、一度通して、おしまい。
あとは、当日、それぞれの感性で、その時の様子で・・・
近い存在だったのに、近寄れず、今まで来てしまった能楽。
しかも、今回のシテ方の武田先生のお父様と叔母は同門。
彼も、叔母のことはよく知っています。
これは「縁」としか言えない気がします。
今では何の違和感もないですし・・・
お能も観に行こうとチケットも買ってしまいましたし(笑)
今回のことは、作曲の齋藤さんに感謝しなきゃね!